つむぎつくば 2005年
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秋葉原ダイビル見学記と「秋葉原エンタ祭り」

7月4日(月)に、つむぎつくばの事務局の奥様先導のもと、秋葉原のダイビルを見学いたしました。 滝本理事、花山理事、渡邉理事を始め12人が参加しました。

つくば市のオフィスで記念写真

秋葉原という名前は、1869(明治2年)の大火を機会に、 遠州から火除けの秋葉大権現(あきばだいごんげん)を勧請(かんじょう)し、 鎮火神社としてまつったところに由来しているという。

1925年(大正14年)に、NHKがラジオ放送を開始。このラジオ放送の人気を背景に、 外神田にあった広瀬商会は、ラジオ部品の専門問屋として全国の小売店に販売を展開し、 山際電気商会もオリジナルラジオセットの販売で急成長した。 そして外神田一帯はラジオの部品を扱う商店で活況を呈したという。

終戦で、ほとんど焼け野原となってしまったが、戦前の「ラジオ街」の復興は早く、 続々と復活・創業が続き、近隣の電機工業専門学校(現在の東京電機大学)の学生が、ラジオを組み立て、 販売するというアルバイトをしたところ、当時のラジオ人気で爆発的に売れたという。

その後、GHQが露天商の移転を命じため、翌1950年(昭和25年)から露天商の移動が始まり、 やがて現在のような、中央通りとJR秋葉原駅電気街口周辺の電気店から構成される「秋葉原」が出来上がった。 そして、テレビや電化製品の普及に併せて秋葉原も成長を遂げていった。

秋葉原の原型がラジオから始まったことは興味深い。 戦後にテレビ放送が始まるまでラジオは人気のメディアであり、 いまの言葉でいえば「IT産業」に置き換えることができるかもしれないからだ。 勃興時の町並みが、なにやらアメリカのシリコンバレーと重なって見えるのだが、どうだろうか?

しかし、戦前のこのシリコンバレーが現在も小売商の街に留まったままなのは残念だ。 優れた指導者がいたなら、もっと違う街に変貌していたかもしれない。 そんな想いで3月に竣工したばかりの地上31階の「秋葉原ダイビル」を見学させていただいた。 (つくば市のオフィスもあり、皆で記念写真)。隣に来年3月竣工予定の「秋葉原UDX」もドカンと鎮座している。 8月24日には「つくばエクスプレス」が秋葉原から発車する。

同日、エドバレー推進機構の「秋葉原エンタ祭り」(10月。東京国際映画際と同時開催)の プレゼンテーションを拝聴する機会に恵まれた。 ゲームとアニメを中心にしたイベントを開催されるという。

いままで秋葉原と言えば、毎年恒例の「賞金総額ん千万円 電気まつり」だったが、 「秋葉原エンタ祭り」は異色のイベントのようだ。 ゲームとアニメには、ストーリー(コンテンツ)がある。

「安売り」ではなく、「ストーリー」(コンテンツ)をアピールするこのイベントの成否が、 今後の秋葉原の方向性を占うかもしれない。 「つむぎつくば」には「つむぎつくば」のストーリーが必要で、 我が本業の「WITHママ」 (保育サイトhttp://www.withmama.info/)にも 小さいながら「ストーリー」が必要な、そんな感想がふと浮かんできた見学会でした。

Withnet 尾崎暢彦